itochan room
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2006/10/24

いい日、旅立ち、あとの祭り。[1] 

Category: 09.あらかじめ失われた再会 — itochan @ 18:14:02

【怒涛の同窓会 in 神奈川県三浦海岸/待ち合わせは炎天下】2005/09/03

それは25年ぶりのオヤジとおばさんたちの待ち合わせから始まった。

午前11時30分。横浜駅西口、高島屋前。僕らは待ち合わせをした。「この頭とヒゲと顔を見てわかるだおうか?」そんな不安を抱いて僕は待ち合わせ場所へと向かった。きょろきょろ見回す必要なく、その3人組が仲間だとわかった。みんな変わってはいなかった。

「よお~っ!」
「わぁー!伊藤クーン。ひさしぶりぃ…」

そんな当然な返事を期待していた僕が間違いだった。

「あらぁ、来てたの?」…だった。

僕らは最後の一人、ドライバー役の仲間を待って時間をつぶした。やがて、登場。

「わりィ、わりィ。クルマが混んじまってサァー! ったく、もう」

相変わらずのしゃべり方。Nちゃんだ。しかし、風貌は彼女が一番変わっていた。失礼を承知で言わせてもらうと、いわゆるオバサンしていた。聞けば、もうアバサンではなく“おばあちゃん”になったという。46歳で。娘が19歳で子供を産んだそうだ。孫を抱いても、ややもすると歳のいった母親と赤子だと間違われると自慢気に話していた。「おっぱい飲ませてみようかとも思ったんだけどサァ」と、なんとも彼女らしい。

みんな子供も大きくなり、上は25歳、小さい子でも10代半ば。手も離れ、やっと自分の時間を楽しめる環境になったということで昨年からこの同窓会は始まった。

しかし、正午近くの高島屋デパートの正面玄関前は、九月の残暑も厳しく、同じように待ち合わせをしている人たちは建物の影に非難して待ち人している。というのに、この50才に片手がかかろうとしているオジン・オバンたちは、炎天下の中で「ねえ、聞いたぁ! それがさぁ~」「でも、横浜なんて何年ぶりかしら。田舎に引っ込んじゃって、街って賑やかよね…なんて井戸端世間話に花を咲かせている。額には大粒の汗。ハンカチでしきりにそのしたたり落ちる汗を拭きながら猛暑をものともしない。やはり、母は強し!である。ちなみに男は、この場には僕だけだった。

そろそろ出発しようか、と誰かが言った。そうね、そうねと皆うなづく。クルマへといそいそ向かう集団。ドアを開ける。ボワ~と中から溶岩のように流れ出す熱気。TOYOTA IPSAMの照り焼きが僕らを待っていた。

噴き出す汗に眉をしかめながらも世間話の続きをしながら乗車。レッツ・ゴー! 僕が調子こいて言うと車内はシーン。「オヤジだっつーの!」とNちゃんになじられ、消沈する僕にかまわず急発進。いきなり飛び出したせいで前の車とぶつかりそうになった。

「マジかよ! ここで事故ったらシャレになんないぜ!」

「大丈夫だっつーの! あっちが突っ込んできたんだから」

「そうそう。どなられる前に、こっちがどなりゃいいんだから」

強引にマイ・ウェイである。とほほ…。

向かう先は神奈川県の三浦海岸。25年ぶりの再会。新日本研究会同窓会一泊コンパ合宿は、こうして始まった。

いい日、旅立ち、あとの祭り。[2]

Category: 09.あらかじめ失われた再会 — itochan @ 18:13:12

【怒涛の同窓会 in 神奈川県三浦海岸/25年の空白なんて何処吹く風】2005/09/03

さて、怒涛の同窓会一泊コンパがはじまった。

先輩諸氏は遅れて合流するということで、とりあえず14名での宴会だ。懐かしい顔が並んでいる。皆オヤジ・オバサンになっていて…僕を筆頭に、かなり頭部が寂しくなった者や昔の見る影もなく太った者、老けた者…でも、性格的にはちっとも変わんない。はじめはワイワイがやがやだった宴会。しかし、これはほんの前哨戦。僕らのサークルは尻上がりに盛り上がっていく。

リゾートホテルとは名ばかりの最悪寄宿舎の宴会場。みんなどこか不満そう。食事も「なんじゃい、こりゃ!」の出来合いモノのてんこ盛り。みんなお箸をつける手もなく飲み物に集中。当然ビール。それもそのはず、ビール以外は、いったいどこに行けば売ってあるのかという代物ばかり。プロの僕でさえ見たことも聞いたこともない焼酎やらウイスキーやらワインやらが用意されていた。しかも、ウイスキーや焼酎のスクリュー・キャップは開封されているし、ワインにいたってはデカンタに移されてはいるものの見た目でマズそうに色が薄い。香りを嗅いでもまったくワインらしくなく、ただただアルコールのツーンとした匂いばかり…誰ひとり手を出さず延々と、そして淡々とビールを飲んでいる。さわぐ者もいないまま2時間が経った。

酔っ払った者など一人もいない。顔色もまるで素面。一斉に立ち上がり「ごちそうさん」と言いながら宴会場を後にした。少し遅れた僕に仲居さんが「みなさんおとなしいんですねえ」と。とんでもない。河岸を替えての部屋での宴会は…エンドレスな地獄絵巻と化する。いや、25年前はそうだった。僕は内心「もう、みんな年だしなあ」と思いたかったが、ホテル到着後に買出し部隊が用意してきた物資を見た時、総毛立った。

持ち込みビール500ml缶が1ケース。ウイスキーが2本(懐かしきサントリー・ローヤルとオールド…しっかし誰が買ってきたんだ!)。焼酎は『いいちこ』紙パック1.8ℓが1本。オツマミは乾きモノが10袋(これに加えて各自持参の品もあった)。不参加のワビのためと送られてきた仙台名物「笹かまぼこ」2ケース。とどめはキューリの浅漬け(業務用らしい)ドデカ袋1個。加えてロック・アイス3袋(途中、コンビニに追加で2袋買いに走った)。45歳以上、総勢15名とは思えないラインナップだった。

結局、朝の3時近くまで延々と飲み、語り合いながら旧交を温めた。昔の話、最近の話、どういうわけか僕が未だ独身でいることに話は集中。やれ「理想が高い」の、「性格が暗い」の…あげくは昔付き合っていた女性のことを持ち出して「女性の気持ちがオマエはちっともわかっちゃいない。昔から!」…コテンパンだった。

ちなみにこの同窓会とは大学時代に加入していたサークルの集まりである。そのサークル名は「新日本研究会」。付け加えて言っておくが、右でも左でもない。とことんナンパ…否、僕らが加入する何年か前までは、聞くところによると学生運動くずれの先輩たちが作った硬派サークルだったとか。その片鱗は僕らの時代にもわずかに匂いとして残っていた。

『バカなことをマジメにやる』それが僕らの時代の新日研だった。1年間かけて自分が決めたテーマを研究していく。そして年度末に発表するという地味なサークルである。辛気臭いのは定例会のみならず、夏の合宿では避暑地・長野にまでわざわざ行って、机にかじりついて1日13時間の研究の中間発表。長野に行った意味がまるでない。そのくせ、年明けには先輩を送り出すコンパは『追い出しコンパ合宿』といって一泊しての大酒飲み大会が年間行事となっていた。

しかし、そんな新日本研究も、今はない。僕らが卒業した2年後には消滅してしまったらしい。もっともかも知れない。時代は80年代。堅苦しいサークルよりもライトでカジュアルでオシャレなサークル…たとえば夏は海、冬はスキーで春秋はテニス…な~んていうシーズン・スポーツ・サークルが大流行りだった。地味で小難しくて、オシャレとは無縁な集まりには誰も興味を持ってはくれない。しかし、決して僕らは陰気ではなかった。マニアックではあったかも知れないが…。

そんなこんなで。一人消え、一人つぶれと少しずつ参加者は部屋に戻り、最後は4名くらいだったろうか。まるで定例会のような気合いの入った大酒飲み大会は、禅宗の住職をやっている先輩のありがたいお説教でお開きとなった。

お布団を敷き、さて全員消灯という時だった。外からドアを叩く者がいた。何事だろうと開けると、例のNちゃん。僕の横をすり抜けダダダァーっとキッチンへ。「もらってくねーっ」と最後の缶ビールをくすねていった。

「たいしたタマだよなあ、まったく」と僕がつぶやくと

「N先輩はきっと依存症ですよ。先日、一緒に飲んだんですが、ハンパな飲みじゃないんですよ。アル中ですね」と後輩D。

「オイ、そんなこと言うなよ。人生いろいろあんだって!」

そう言いいながらDの方を見ると、しっかり地鳴りのするようなイビキをかいて寝ていた。住職先輩はそんな僕ら二人の話を聞いていたのだろう。「何か逃げたいというか、忘れたいことがあるんだろう」と言った。やっぱ、お坊さんが言うと説得力が違うなあ。あらためて自分のチカラのなさを知らされた気がした。

いい日、旅立ち、あとの祭り。[3]

Category: 09.あらかじめ失われた再会 — itochan @ 18:12:19

【怒涛の同窓会 in 神奈川県三浦海岸/城ヶ島名物・胃痛ところてん】2005/09/04

目覚めは最悪だった。午前8時半。窓の外、三浦海岸は陽光に輝いていた。しかし、僕らといえば…ご想像通りである。

女性軍はしっかりと5時過ぎには起床して朝風呂に入り、7時には朝食も済ませていた。25年前ならいざ知らず、さすが母親をやってきただけあって、どんなに夜更かししても朝はちゃんと起きている。

男性軍も、ボリボリと頭をかきながら乱れた浴衣姿で大浴場へ。あわやおぼれる者が出るかもといった感じで朝風呂を浴びた。そして朝食。バイキングとは聞こえがいいが、なんともちゃっちいメニューだった。しかたなく僕は野菜サラダとスープとスクランブルエッグと塩サケを。時間をかけてぽつりぽつりと口に運んでいたが、隣で先輩住職はしっかりと和風五味五色、しかも一粒残さず食べ終わって手を合わせていた。さすが!

そんなこんなで。チェックアウトのための身支度。今日の予定は三崎の城ヶ島観光だという。

待ってましたとばかりに最高にいい天気。裏腹に体調は最悪。頭の中ではピンクの象がタップダンスを踏んでいる。聞けば、昨夜寝酒に缶ビールをと持って行ったNちゃんだが、昨夜は飲まずに目覚めにクイッと飲ったらしい。それじゃ迎え酒じゃないか。ちなみに500ml缶である。おそるべし! 

そして、二日酔いの重い頭と睡眠不足のフラフラ体の中年男女一行はクルマで城ヶ崎へ向かったのだった。

城ヶ島は神奈川県きっての景勝地。みんな眩い陽光に目を細めながら怒涛の波しぶきに歓声をあげていた。僕はといえば、そんな眺めもそこそこに、ポカリスウェットを浴びるように飲んでいた。

それにしても城ヶ島は中々見応えがある。荒磯にぶつかる波の写真を撮ったのでご紹介しよう。

ここが三浦半島の突端 荒磯と断崖にぶつかる太平洋の波
自然にまさるものは、ない。

岬の突端には城ヶ島京急ホテルが建っている。かなり古い建物だが、なんといってもロケーションがいい。ぜひ一度泊まりたいものだ。その際は絶対二人で!…なんて言ったら、みんな異口同音に「その年で? 出来りゃあ、とうにカミサンがいるぜ」だって。

まるで海の家みたいなホテルの食堂で昼食をとった。といっても誰も食べずに飲み物だけ。しかし、僕ともう一人、サークルの人気者というか看板野郎キー坊と『名物三崎産ところてん』という手書きの張り紙に惹きつけられ、酒で疲れた胃袋に酸っぱいところてんを流し込み、むせるやら、胃に滲みるやらで、食べながら死にそうだった。それを見て、Nちゃんの言葉ではないが「アイツら、懲りもせず、またやってらぁ」と呆れていた。25年、僕らはまったく変わっちゃいなかった。

中年同窓会一行は観光を終え、さて解散という段になった。ところが、女子のひとりが新鮮市場で買い物やってから解散しようよと言い出した。

クルマですぐの場所だった。てっきり三崎名産の海産物の土産品売場みたいなところだと思っていたら、なんとフツーのスーパーマーケットだった。みんな(女子たちが主)各自手に買い物カゴを抱えて物色に走り回っていた。時刻は正午すぎ。つまり、今夜の夕食のための買い出しである。やはり、ここでも“母は強し”であった。

いい日、旅立ち、あとの祭り。[4]

Category: 09.あらかじめ失われた再会 — itochan @ 18:11:39

【怒涛の同窓会 in 神奈川県三浦海岸/また会う日まで】2005/09/04

夕餉の買い物を終えた新日本研究会同窓会一行。スーパーの駐車場で解散となった。みんなそれぞれ連絡先やメールアドレスを教え合っている。僕はひたすらポカリスウェットのお世話になっていた。それにしても誰も何も聞きに来ない。オレってこんなに人気なかったのかな? まあ、いいや。名簿にはちゃんと住所が載っていたし。

「ねえ、来年の幹事は誰がやる?」

「そうだな。誰がいいかな?」

「今回、幹事をやらせてもらった権利として…次回はキー坊先輩夫妻でお願いします!」と後輩Dが言った。

「よし、決まり!」言い訳、意義、質問、いっさい受け付けないのは、やはり昔から。

「オレ、来年は無理かな?」と僕が言った。すると…

「あっ、そう。仕方ないね」とみんな。

呆気なく承諾された。僕が一番遠い所から来ているんだっつーのに。ったく、もう。

でも、またすぐにでも会える---そんな共通感覚が僕らにはあった。だから、こうもあっけらかんとしているのだ。25年ぶりに会ったにもかかわらず、それぞれの時間の埋め作業なんてほんの1時間程度。すぐ時空を飛び越えて“あの頃のみんな”にもどってしゃべっている。

大学時代という長そうでわずかな4年間という共有時間。しかし、今こうして会ってもまったく違和感を感じないのはなぜだろう。懐かしさと言ってしまえば、それまでだが。僕はこれからも時間がとれれば参加していきたいと思う。

あの日、あの時、あの場所で、僕らは確かにいた。泣いて、笑って、怒って…すべて大切な僕らの時間。

いい日,旅立ち,あとの祭り。[5]

Category: 09.あらかじめ失われた再会 — itochan @ 18:10:55

【思い出に逢いに行く rhapsody in yokohama】2005/09/04

同窓会のみんなと別れた僕は横浜にいた。今回の旅のもうひとつの目的、10年以上ぶりにMさんと逢うためだ。

その人は横浜に住んでいる。僕と出会った頃からだからどれくらいになるのだろう。13、4年くらいになるのではないだろうか。横浜が大好きな女性。というよりも海と船が好きだった。確か父親が船長だった。そのせいもあるのだろう。

実は、その女性と、もう10年以上も前に僕は交際していた。だが、それはついに実を結ぶことはなかった。「私は自分が一番好きだし、一人で生きていきます」と言って僕らは別れた。お互いに嫌いになったわけではなく、これからの人生を考えての納得ずくの別れであった。僕が27歳、彼女が25歳の時に出会い、そして10年。別れた時、僕は37歳。彼女は27歳。あまりにも長すぎた時間だった。

           ◆              ◆       

僕は彼女と別れ、ほどなく東京暮らしに終止符を打った。彼女との一件で帰ろうと決めたわけではなかった。仕事のこと、両親のこと…いろいろな要因があった。1994年11月のこと。

帰郷して2年後くらいだったろうか、彼女から突然電話をもらった。

「熊本に行っていい?」

「エッ、どうしたの?」

「逢いたくなったの」

「今来られても僕はどうしようないよ」

当時の僕は仕事にあぶれ無職だった。そんな僕に何が出来るだろう。否、それよりももうすでに終わらせたはずだ。すべてを…どう答えようかと考えていた時、彼女は自分で自分の言葉を打ち消した。

「いいの、いいの。冗談よ」その場の重く沈んだ会話を打ち切ろうとした。無理に笑顔で話そうとする彼女の顔が浮かんだ。

「今は無理だよ」

「うん。わかった」

彼女は受話器の向こうで泣いていた。本当に来たかったんだろう。しかし、僕にはどうすることも出来なかった。すべては終わってしまったのだから…

それから半年ぐらい経って、僕は彼女に会うために横浜へ行った。彼女と話がしたくなった。よりを戻そうというためではなかった。ただ、あの当時は「今は無理だ」としか言えないほどに僕は行き詰っていたし、なぜあの気丈な彼女が涙を流したのか、それが知りたかった。

懐かしい大桟橋のたもとのレストランで昼間から二人でシャンパンを飲んだ。いろんな話をした。しかし、驚いたことは彼女が涙もろくなっていたことだ。交際していた頃は涙なんて見せたことがなかった。夕食もひさしぶりに二人で。ここでは笑顔の彼女だ。昔のままの彼女がそこにいた。そして、その夜を僕は彼女とともに過ごすことなく別れた。

近くのホテルに部屋をとった。眠れるわけがない。結局、朝までいろんなことを考えていた。夜半から雨になった。窓ガラスは雨に濡れていた。

朝が来た。僕はホテルを早めにチェックアウトし、隣のファースト・フード店でコーヒーを飲んでいた。見るともなしに外の雨に煙る景色を眺めていた。その時だった。目の前の道路。その向こう側の歩道を、傘をさして通り過ぎる女性に視線が止まった。「彼女だ!」僕は声に出しそうになった。僕は急いで店を出た。追いかけたかった。しかし、足早に急ぐ彼女と、そして目の前の横断歩道の赤信号が僕の行く手をさえぎった。

やっと青色に変わった。急いで追いかけた。行く先は駅。雨の中、傘もささずに走った。しかし、着いた時にはもう彼女の姿は群集に紛れてしまい、僕は見失ってしまった。

今にして思えば、あの時に間に合ったとしても、僕はいったい何を話したかったのだろう。すべては終わってしまっていたのに…

           ◆              ◆       

あの雨の日から10年近く経つ。そして再び僕は、彼女に会いに行く。

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