夜想あるいは愚痴
夏本番。こんな暑い日には・・・と一枚のCDを購入した。4年ほど前になる、「ブエナ・ヴィスタの夜みたいでいいですよ」と音楽通の知人に紹介されたジャズものだ。聴かせてもらって一発で気に入った。だが、ついつい買いそびれていた一枚だった。
異端あるいは天才ベース奏者チャーリー・ヘイデンの『ノクターン』。キューバ出身のジャズ・ピアニスト、ゴンザロ・ルバルカバを参謀役に迎えて造ったキューバン・バラード(ボレロ)集。ちなみに『ノクターン』とは夜想曲のことである。言うまでもないが。
そのタイトルから想像するロマンティックなものを想像するのは至極当然のことだろう。だが、夜とはロマンティックな一方で、“魔”がひたひたと忍び寄ってくる刻でもある。美しさと表裏一体の何か・・・それは“魔”あるいは“毒”。原曲の美しさを磨き上げることで、その裏側に潜む“妖しさ=魔あるいは毒”を表現している。
現代における音楽の聴かれ方。それは音楽家にとってそのクリエイティビティを失わさせているという話をよく聞く。表面的に聴く。あるいは口当たりのいいものしか受け入れない。昨今のジャズなど特にその傾向が顕著で、「オシャレ」とか「邪魔にならない」とか・・・ファッションやBGM的に聴かれているようにしか思えない。
しかし、それが悪いと言っているのではない。たとえば、それがこのアルバムなのである。表面的にはとても“美しい”。しかし、チャーリー・ヘイデンは、果たしてそんな甘口なアルバムを作りたかったのか?独断と偏見で言わせてもらうなら、それに対して「ノー」と考える。彼のこれまでの遍歴を見れば、そうとしか思えない。
『ノクターン』の魅力。それは、ただ「美しい」とか「わかりやすい」といったライト感覚で聴くと、きっとその奥深さを聴き逃してしまうに違いない。ぜひとも、スピーカーの前にドンと腰を据えて聴き入ってもらいたい。最後に、CD解説の冒頭で引用されている評論家・小林秀雄のエッセイの一節を紹介しよう。
《見るとか聴くということを、簡単に考えてはいけない。(中略)見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです。》『美を求める心』より
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ついでに、もう一枚。通うように毎日行っているカフェ・タイムレスのサト君から「チャーリー・ヘイデンといえばECM。と言えばヤン・ガルバレクでしょ!」と紹介された。夕暮れに聴くといいですよとアドバイス付きで。
このアルバムにもチャーリー・ヘイデンは参加している。もう一人、エグベルト・ギスモンティ(g)によるトリオだった。メンバーから見て非常に厳しいというか観念的というか抽象的な内容だろうと想像した。
確かに、そんな雰囲気はECMレーベルだけにある。が、それほど難しいものではなかった。ひと言でいえば“静謐な音楽”とでも呼べそうなものだった。彼の勧める通りに夕暮れの西日射すお店で聴いてみた。
確かに中々いい。刻一刻と太陽の位置が変わり、陽射しも長く店内に伸びてくるのと呼応するように、透明感に満ちた音の粒がキラキラと輝き出す。イマジネイティヴな音空間が現れてくる。
通勤途中で気まぐれに買ったカップのかき氷を食べた。そしたらどうだろう。なんだか妙に合うじゃないか!かき氷でキーンと痛くなったアタマをさすりながら聴くと、なんとも不思議な感じ。気持ちいいんだが、辛いんだか・・・で。発見!ECMの観念的になJAZZには、かき氷が似合う!まさに、ニッポンの夏だ!
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